池田愉養院(ゆよういん)付属研究室

東京都三鷹市 JR三鷹駅より徒歩3分。 整体 池田愉養院のブログ

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なにを信じたらいいのか?

世の中にはいろんなことを言う人がいます。
健康法に関しても、まるっきり逆の意見があったりします。
ではどうしたらいいのか。

基本的には「自分に合うか、合わないか試してみる」のがいいと思います。
ちなみに、あんまり極端なことをする場合は気をつけてください。
そのときは気づかないで後で変調がくることもありますので。

なにを信じたらいいのか分からない人々に、ブッダが説いた話があるので紹介します。

カーラーマ・スッタ(kalama sutta)

ある時、ブッダはカーラーマ族の村、ケーサプッタで人々から質問を受けました。
「これまでに多くの出家者やバラモンがこの町を訪れました。彼らはさまざまな教義を説き、他人の教義に対しては非難をしました。誰が真理を語り、誰が間違っているのでしょうか?」

ブッダは答えます。
みなさんが疑問をもち、確信が持てないのは当然です。
以下のことに盲目的に従ってはいけません。

1.繰返し何度も聞いたことだから。
(広告・宣伝はこの類です。政治的な意見もこういう形で入ってくることが多いように感じます。)
2.伝統だから、昔から周りの人がそう考えているから。
3.誰かがそう言っていたから。
4.権威ある本に書いてあるから。
5.〈帰納的に〉論理に適っているから。
6.〈演繹的に〉理論に適っているから。
7.熟考した結果の見解であるから。
8.自分の見解に合っているから。
9.その人が信用できそうに見えるから。
10.その人があなたの先生だから。
(↑ここにはブッダ本人も含まれている表現をしているそうです)

カーラーマのみなさん、自分自身で確かめてください。
〈これらの行為は不善であり、とがめられるに値し、賢明な人々に非難される。
実際に行うと、有害であり苦しみが生じる〉
そう気づいたならば、その行為をやめるべきです。

カーラーマのみなさん、自分自身で確かめてみてください。
〈これらの行為は善であり、ためになり、賢明な人々に称賛される。
実際に行うと、有益であり、幸せになる〉
そう気づいたならば、その行為を行うべきです。

※あちこち参照しながら私がまとめました。
主な参照は以下のサイト kalama sutta(音声)
http://www.dhammadownload.com/SayaDaw-UJotika-mp3-english.htm
sayadaw u jotika (ミャンマーの比丘。ジョティカ先生)の法話 聴きやすい英語です。

「自分自身で確かめてください」というとちょっと強いので、
「自分で試してみてください」というほうがしっくりきますかね?

「自分で確かめたから」といって、頑なになることも諌めているのです。
“「8.自分の見解に合っているから」といって従ってはならない。”

「ほんとかな?」とはっきりしないことは、とりあえず「保留にしておく」ってことですね。


基本的にぼくはこのカーラーマ・スッタの教えは好きです。
仏教は信じるんじゃないんだ、と結構驚いた覚えがあります。

縁あって、10年程前にミャンマーにある仏教の瞑想センターに1年間滞在しました。
このジョティカ先生には直接会ったことはないのですが、滞在中に外国人の世話役をしていたお坊さんに本を頂いて読み、だいぶ勇気づけられました。
帰ってきてからもインターネットでときどき法話を聴いていました。
今回久しぶりに再聴。

できるだけ先入観や思い込みなくいたいと思いますが、
ぼくもたくさんの先入観や思い込みを通して世界を見ているはずです。
「当たり前だと思って全く疑っていないことが、当たり前じゃなかった」ってことはたくさんあると思っています。
「自分がどんな先入観や思い込みをもっているのか」にはとても興味があります。


ここでひとつ思い出したので、引用します。野口晴哉先生の奥様が書いたものです。

野口先生が「不動金縛りの術!」をした話をし、奥様が「私も修行してできるようになりたい」と言ったときの野口先生の返事。
「修行なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか、自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。
人間はもっと自由な筈なんだ。だから僕のやってきたことは、人を金縛りにすることではない。すでに金縛りになっているものを、どうやって解くかということだ。暗示からの解放だよ」
                              野口昭子『回想の野口晴哉』p.46

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「快」について

「身体が整っていくときに『快』を感じる」
「身体の感覚を信頼していい」
このことは、違和感なく受け入れられる感じがしますか?

「快」について書くといろいろ誤解が生じやすいように感じます。

操体の師匠、青木武先生は、
快:整っていく感覚
快楽:壊れていく感覚
と言葉を使い分けています。

野口裕之先生は、「快の変態化」という表現をしていました。
これは変態趣味になることではなく、壊れていく感覚を「快」と感じてしまうということです。

頭で「快はよいのだ」と考えて行動していると、おかしなことになったりするので、なかなか難しいのです。

引用します。
操体をまとめた橋本敬三先生。
気持ちのいいことは何をしてもいい。苦しい方、痛い方に動くのではなく、ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい。
だけどもね、その時にはうんと気持ちよくっても、後になって気持ちが悪くなる、つまり、後味が悪いっていうのがあるが、それは本当の気持ちよさとは違う。例えば、食いすぎ、二日酔、あれは後味悪いよね。(中略)がんばってはしゃぎ過ぎるとダウンして、翌日はからだがシャンとしなくなる。
                                   『からだの設計にミスはない』p.17


「後味の良し悪し」は、皆さん経験がありますね。
後味の悪さがはっきり出るときはわかりやすいですね。
「わかっちゃいるけどやめられない」っていうのもあると思いますが。

続いて野口晴哉先生。
……異常を起こしてそれを治そうとするなら、体の使い方を改めなくてはならない。使い方を改めるのは頭で考えてもわからない面があるが、人間の体には意識しないでバランスをとる欲求があります。ごはんを食べるにしても、体に必要なときはうまいし、必要のないときはうまくない。働くにしても、エネルギーの調整が必要なときは快い、余分になると疲れる。エネルギーが余るとだるくなる、暴れたくなる。けれども、ちょうどいい時は快い。ちょうどよければ暴れたあとでもそれが鬱散に役に立って快い。
 そういうように、どんなことがあるにしても、みんな感覚があるし要求がある。入浴しても、疲れた時は熱い湯の方が快い。疲れない時はぬるい湯の方が快い。体も古くなってくると入浴の温度も高まってくる。高くしないと快くない。ちょうどよいということは、「快」という感じで現れてくる。体が「快」と感じる方向に動いていれば健康になれるし、「快」という方向に動くようにいつの間にか無意識に方向づけられているので、それに逆らうと不快になる、疲れる、だるくなる、眠くなる、満腹する、といったように、みんな不愉快なことがたくさんに起こってくる。ちょうどいい時はいつでも快い。
 だから人間は快い方向に動いていれば健康になるし、健康になればどういうことをやっても快くなる。そして、この快いという方向に逆らわないようにさえしていれば、自然に丈夫になっていく。それを意識で「良薬口に苦し」というようなことを考えてしまう。それは間違っています。頭を通さないで、意識以前の快さをそのまま感じて、それが行動につながるように生活すれば、人間は自然に丈夫になるのですが、意識が発達しすぎるとそれがむずかしい。
                                       『整体入門』pp.47-48


このところ世間では、ぬる湯がすすめられることが多いですね。
野口整体では、ぬる湯での長湯は身体のしまりがなくなるとして、すすめていないようです。

私は1年半の間、群馬県の草津に住んでいたことがあります。
草津温泉は基本的にあつ湯です。熱いのであまり長湯はしません。
それまであつ湯は好まなかったのですが、毎日熱めの温泉に入っていたため、草津を出たあとも、風呂の湯は少し熱めでないと物足りなく感じるようになりました。
「体が古くなっ」たからかな?

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はじめまして

池田裕紀(いけだひろき)と申します。
初めてのブログで、まだ暗中模索です。
いろいろと書いてみようと思っておりますので、よろしくお願いします。

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